2013年2月27日水曜日

[CEDEC 2012]必要なのは「何でも自分でやってしまう覚悟」。タイトーのアーケードを支え続けた「組み込

。つまり,ここで必要になってくるのが“組み込み技術者”である。  講演者である三部氏は,スペースインベーダーが日本を席巻した1979年にタイトーに入社し,アーケードゲーム機器のシステム設計やマネージメントを手がけたのち,1992年には世界初の通信カラオケを考案?事業化した人物で,タイトーにおける組み込み技術者の草分け的な人物でもある。  以降のセッションでは,氏が関わり続けたアーケードゲームの30年を振り返りつつ,改めて,この組み込み技術者の重要性が説かれるものとなった。 ソフトのみならずハードやメカニックの設計が求められるアーケードゲーム開発の現場。三部氏によれば,この部分にこそ,コンシューマゲームとは違う,アーケードの可能性が秘められているという 新しいものを生み出すには,何でも自分でやること  プランナー,プログラマー,グラフィッカーと,今でこそ細かく分業が行われているゲーム開発だが,1970?80年代の開発は,基本的に1人で行われるものだった。ハードの設計からプログラミングまでをすべて1人でこなすのが当たり前で,「1人1ゲーム」の時代だったと三部氏は語る。  先ほども例に挙げられたスペースインベーダーは,まさにそうして生まれたタイトルである。開発者は西角友宏氏。1978年に世に出た,この歴史的な名作は,グラフィックスもプログラミングも,紙の上に手書きで行われたのだそうだ。 「スペースインベーダー」開発に使われた資料と,実際のゲーム基板。プログラムはアセンブラで作られ,リストは100枚前後に及んだという  これは開発ツール類が非常に高価だったためというが,西角氏の掲げた「1人1ゲーム」の姿勢は以後も変わることがなく,すべてを1人でこなしてしまう。その姿を見ていた三部氏は,「新しいモノを生み出すには,何でも自分でやってしまう覚悟が必要。あれがない,これがないと不平を並べるだけでは何も始まらない」ということを学んだとのことだ。  またこの時代のゲーム開発者は全員が組み込み技術者であり,ドラゴンクエスト10 RMT,開発ツールもすべてが自作。デバッガーもアニメーターも,ゲーム基板を改造した手作りボードにカセットテープ式のデータレコーダを繋ぎ,ドラクエ10 RMT,開発も動作検証も同じディスプレイ上で行っていたそうだ。現在の開発環境しか知らない人に取ってみれば,もはやよく分からない世界だろう。 回路を設計するためには,ディスプレイの表示技術にも精通しなければならない。スプライトが登場する前にどうやって画面に絵を表示していたのか,知る人はもはや少ないのではないだろうか
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